kitten -6-






気がつけばルヴェール公爵邸にたどり着いていたリリー。

太陽は傾き掛けていた。

猫の小さな影が公爵邸の庭に入り込む。

木陰にそっと身を寄せて、丸くなる。

切なくて、苦しい思いでいっぱいだった。




*****


夜中の少し前、夜回りをしていた使用人が子猫を見つけた。

つままれるようにして、執事頭に邸内に連れて行かれる。

「旦那様、庭に子猫が入り込んでおりました。 見覚えがあるので、まさかとは思いますが、
この猫は、リチャード殿下の愛猫ではないかと…」

ルヴェール公はすぐにリリーだとわかった。
以前、屋敷に連れてこられた時となんら変わらない。

「そうだな。この子猫は殿下の愛猫・リリーだな…
きっと城では探しておいでだろう。
すぐに知らせに行ってくれるか?」

「はい、旦那様。というか、連れて行きましょうか?」

「…そうだな。心配しておいでだろうし。
しかし…何故、当家に来たのだろうな…」


思案するルヴェール公はふっと、子猫の正体が乙女だったと思い出すと
何かあったのかもしれないと、感づく。

じっと子猫のサファイアの瞳を見つめると
その奥に何かあると確信した。


「いや、待て。
今夜一晩だけ、預かる。
明日の朝に私が届けに行こう」。

「はぁ…」

執事頭は少々、不審に感じていた。
と、言うのも、かなり大切な愛猫だということを知っているはずの公爵の思惑がわからなかったからである。





******


夜中、月の光の当たる窓辺に、リリーを置く。


今夜は上弦の月。


月光が挿し、リリーにかかると黒い霧に包まれていく。



公爵は目の前の出来事が古代黒魔法であることを確信する。



霧が晴れるとそこには窓辺に腰掛ける、古典的なドレスの乙女の姿。

しかし、黒い猫耳とふさふさとした尻尾があった。


「ルヴェール公爵様…」

乙女は目の前に立つ、公爵にお辞儀する。


それだけでも彼女が高貴な生まれであることが解る。

3ヶ月前の彼女を見知っているからこそ、静かに見守っていた。

「どうして、私を直ぐにお城に返されなかったのですか?
私が…飛び出してきたことに気づいておいでですか?」

乙女は公爵の顔色を伺う。整えられた顎鬚を撫で、公爵は答える。

「…うむ。
昨夜の殿下は婚約発表パーティだった。何かしら理由があろうと思うてな。
それに今夜は上弦の月。うまくいけば、人間のリリーと話ができると踏んでのこと。」

「…ご慧眼、いたみいります。
わたくしは子猫。私が呪いによって子猫になっていることを知っておられるのは
ルヴェール公爵様だけ。
だから私は、無意識にここに来たんだと思います。」

彼女は口元を手で覆い、はらはらと涙を流す。


優しい声で問いかける。

「何か…あったのかね?」

「私は…リチャード殿下のそばにいるのが辛くなって、飛び出していました。
ビビアナ様と一緒に居られる姿を見て、私は…」


その言葉で公爵は彼女の心情を察した。

「子猫であり、人間の乙女であるそなたは、殿下に恋しておいでですな。」

「…!? 」

思いがけない単語に驚くリリー。

「殿下はあなたを溺愛しておいでだ。子猫のリリーを。しかしそなたは…」

「…、私は子猫のまま、この100年近くを生きてきました。
人間としてなら114歳の老婆です。
呪いのせいで16歳の姿のままですが。。。。。」

「やはりそうであったか。」

彼女の言葉に妙に納得する公爵は顎髭を撫でる。
その言葉に顔を上げるリリー。

「え?」

「前にそなたが人間の姿になって私の前に現れたときに言った言葉。
「フェイスタ王国の王の娘」「王妃は魔女」
このキーワードとそなたの纏っているドレス。
そのデザインは100年近く前に流行ったものであったから、書物で調べた。
それで解ったのだ。

そなたの本当の名はフェイスタ王国の第1王女、ファリア姫。母上はセーラ妃。
継母の王妃が後妻でイザベラ妃。男子を2人生んでおる。」

ルヴェール公爵の言葉通りだった。
きちんと顔をあげて、はっきりと答える。

「はい。そうです。」

「そしてファリア姫は16歳で下男と出奔と王国の系譜に書かれておった。
どうやら事実と違うようだな。」

公爵の言葉を受けて、リリーことファリアは話し出す。


「…、私は16歳になってすぐの頃、城の地下倉庫に糸車を取りに行きましたの。
奥から、灯りが漏れていたので覗き込むと、そこには大きな鉄釜と魔法の道具がたくさん置かれていました。
そこには古代文字で書かれた魔法書も積まれていました。
あとは…壁に掛けられた大きなイザベラ妃の肖像画。
それで、継母が魔女だと確信したのです。

私がその部屋に入ったことに気づいたらしい王妃が数日後、
私の眠っている間に魔法をかけたのです。
自分が気づいたときには子猫の姿でした。

しばらくは城の庭園に隠れて様子を伺っていましたわ。
王妃が勝手に噂を広めたのです。
「ファリア姫は下男と駆け落ちした。」と。
私は子猫の姿で彼女に近づこうとしましたが太刀打ちできませんでした。

庭園に隠れていたところをつまみ出されて、それからしばらくは城下に…
国が滅びようとする頃、放浪の旅にと…」


ルヴェール公爵は腕を組み、静かに彼女の話を聞いていた。

「街道を歩いていると、猫好きな人に可愛がられて、食事をもらえたり、時には犬に追いかけられたり…
ある時期は老婆に飼われていました。でも、彼女が亡くなってしまって…
また放浪の旅へと。
そんな日々の繰り返しでした。

半年ほど前にリチャード殿下に拾っていただくまでは、ホントの野良猫でしたわ。

だから、彼がとても大事に私を可愛がってくださることが嬉しかったんです…。


でも突然、月の明りのせいなのか、人間の姿に戻れた。
自分でも本当に驚きましたわ。
継母の魔法が黒魔法だから、月光の清らかな力で弱まってるのでしょうね。」

彼女の言葉を聞いて、自分の考えを告げた。

「うむ。私もそうだと思っていた。しかしそれだけではない。
異性からの好意のキスが黒魔法を弱める。
ひょっとしなくても、寝る前などに殿下からキスされていませんでしたか?」

ルヴェール公の言葉に耳を疑うほど驚く。そして頬を染めていた。

「えっ!? えぇ…    この時代の方々は、魔法をほとんど信じないと思っていましたわ。」

「そうか、やはりそうであったか…
私は若い頃に錬金術と魔法を学んでいた時期があった。この二つは科学と紙一重。
白魔法と黒魔法。プラスとマイナス。炎と水、土と風。
両極端なことはほんの少し使い方を間違えると、意味が全く違う。」

「そうですね。」

ルヴェール公の言いたいことが理解できるとうなずく。

「…それで、実は、前にそなたが人間から猫に変わる瞬間を見てしまった時から
色々な魔法書を調べてみた。
それで分かったのだが、かかっている魔法を解除する方法も私は知っている。」

「えっ!?」

これには驚愕するしかなかった。

まさか、この時代に白魔法を行使できる人物がいようとは思わなかったから。

「だから、そなたが望めば、私は人間に戻してあげられる。」

ルヴェール公の言葉に返事の言葉が出ない。
あまりに唐突すぎたから。



「……今更、人間に戻ったところで、帰る国も行くあてもない私です。
それに、猫のまま、生涯を終えると思っていました。」

瞳を伏して、彼女は告げる。

「…確かにそうだが、そなたがリチャード殿下を想っておるのなら、
人間に戻り、結婚することも可能だと思うが?」

「無理でしょうね。」

あっさりとした言葉を返すリリーことファリア姫。

その唇から出た言葉に驚かされた。

「え?」

「殿下が普通の市民なら、身元がよくわからない女でも結婚できたでしょう。
でも彼は皇太子。王侯貴族ならまだしも、何もない、わたくしでは無理な話ですわ。」

「では、これからどうするね?」

「…また放浪の旅に出るか、いっそ車輪の下にでも飛び込みたい気持ちですわ。」

いずれにせよ自虐的な言葉にルヴェール公は胸を痛めた。

しばらくの沈黙。




「…ファリア姫。私が後見人になるのはどうだろうかね?」

いきなりのルヴェール公の申し出に驚く。

「後見人…ですか?」

後見人という言葉に疑問を抱き、問い返す。
穏やかに公爵は話し出す。

「あぁ。養女になるというのには、当家には15歳になる娘がおる。
それは不自然なことに思われよう。
だから、遠縁の令嬢ということにして、両親が亡くなったという、
理由にすれば後見人と言うのが自然であろう?」

「…確かに。16歳の私なれば そういった状況であれば、こちらのお世話になることも可能ですね。
でも、私がルヴェール公様に甘えてしまっていいのでしょうか?」

「遠縁であっても、被後見人が皇太子妃になるということは名誉だと思うがね?」

「!!」

唐突すぎる言葉にファリアは頬を染める。

「ですが、殿下のお気持ちはビビアナ様にあるのでは?」

「そのように見えるかね?」

「えぇ。昨日は。」

昨日はもちろん、お見合いの時点でいい感じに見えていた。
特にビビアナ嬢はリチャードを気に入っていいるように感じてる。
しかし、ルヴェール公は思っていたのと違う言葉を告げる。

「…殿下の本音は、当人にしか解らない。
しかし、私が伝え聞いたところでは、殿下はあまり乗り気でないと。
ただ、お父上である陛下が決められた相手だからと、自分の感情は持ち込んでおいでではないであろう。」

「……」

確かに彼のそばにいたとき、ふっとこぼした言葉を思い出す。

"僕は…ビビアナ嬢を本当に愛せるだろうか…"

切なげな声で悩んでいる表情だったこと…



「とにかく、殿下にそなたの正体を明かして、殿下の気持ちを確かめた方がいいであろう。」

「…そうですね。子猫のリリーが実は人間で16歳の娘だと解ったら、
気味が悪いと思って、手放されるかもしれませんもの。」

「え?」

「この時代の方々は魔法が存在すると信じてないことが多いでしょう?
まさか、猫の姿に変えられた人間だと誰も思いませんわ。
殿下が受け入れられないと、私を捨てられる可能性もあります。」

公はまたも自虐的な言葉に胸を痛める。

「…確かに受け入れがたいことかもしれぬ。
しかし、本当のそなたを受け入れ、知れば、状況は変わると思うがね?」

「奇跡的なことでしょう…殿下はリアリストですもの。」


確かに赤ん坊のころからリチャードを知っている公爵。
自分が4歳の彼の家庭教師になった時に、驚いたことがいくつかある。

年齢にそぐわぬ、頭脳明晰さ。神童という言葉が似合う幼少期。
10代前半に成長するころには自分の20代の弟子たちより出来が良かった。

現実的なことは理解してても、超自然的な現象はなかなか、理解されなかった。


数か月一緒にいた子猫のリリーことファリア姫は見抜いていた。。。




*****

ふうと溜息をついたルヴェール公は切り出す。

「とりあえず、明日、城に戻ることにしようかね?」

「いいえ、私は戻りませんわ。このまま、行かせてくださいませ。」

「…殿下のことは心配でないかね?」

確かに自分をとても可愛がってくれていた彼が突然、愛猫を失うのはショックだろうと容易に予想できた。


「では、私はどうすれば?」

「…とにかく、殿下の様子を見てからにしては?」

「じかに私が確認する訳にも参りませんね。
…申し訳ないのですが、公爵様、お願いできますか?」

「…そうであろうな。解った、私が明日、殿下の様子を見に城に行ってこよう。」

「わがままを言って申し訳ありません。」

「いいや、問題ない。」



二人が押し黙ってしまうころ、窓の外は白み始めていた。

ファリア姫の周囲には黒い霧が立ち込め始める。

ルヴェール公爵はじっと渦巻き始めた、黒い霧を見つめていた。


ふうっとかき消えると、子猫のリリーの姿。


掬いあげて、公爵はリリーに告げる。

「とりあえず今夜まで待っていて欲しい。」

子猫はにゃおーんと返していた。





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(2012/02/15〜4/19・2014/07/11加筆改稿・2015/01/19加筆改稿)





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