(後編)

 翌日、凪砂は弁当を持参して、公園に行った。ベンチで老人が座っているのを見つけると、
「お爺さん、一緒にお弁当を食べませんか?」
 もう12時かと老人が時計を見た。
 凪砂がベンチに弁当箱を置いてから紙皿とフォークを用意した。
「ほぉ、君が作ったのか?」
「父の友人に、料理が得意な方がいらっしゃいます。その影響で料理をはじめました。母があまり料理が得意じゃなかったけど、生活していくには、これだけは必要なのではないかと」

 同じ頃、ブルースは兄のヘルムートと昼食をとっている。
「珍しいな、凪砂が弁当を持って出かけるなんて…」
 ヘルムートがサンドイッチを頬張りながら言うと、
「ロックたちとマイアミビーチへか?」
「いや、お爺さんと会いに行っている」
 ブルースがミルクティを口に含む。
「凪砂には母方の祖父母がいないと聞いていたが…?」
「昨日、ならず者から見ず知らずの老人を助けたことから、縁ができたらしい」
 ヘルムートが「ほぉ」と感心しながら、
「見ず知らずの老人を助けるとは、彼女らしいな…」
「彼女は余計なお節介だと気にしていたが、これも『夢』への第一歩と思えばいいのだが…」
「そういえば、凪砂の夢は弁護士になることだったな?」
「自分の『夢』に比べれば、立派なものさ」
「ところでブルース、お前の『夢』は叶えられたか?」
 ヘルムートの問いに、ブルースは首を横に振った。
「私が殺したようなものだ。今の私には『夢』を持つ資格はない。時の流れに身を任せるだけの根なし草のようだ」
「ステファニアの一件のことか?」
「ああ」
「彼女の死に顔を見たというオーガン警部が、取調べ中の俺にこう言った。『ブルースとは何か関係があったのかは知らんが、安らかな死に顔だった』と。もしかしたら、お前と再会できて、彼女は幸せだったかも知れない」
「兄さん…」
「お前が自分を責めるほど、彼女を愛しているんだな、今でも…」
「ああ…」
「いつまでも過去の出来事に縛られてばかりじゃ、残りの人生がもったいないし、ステファニアも依子も悲しむ。過去は消し去ることももどすことはできないが、未来はいつもお前の目の前にある。だからお前の未来を、これからの人生を創っていけばいいんだ。それはお前のためではなく、凪砂のためでもある。その悲しい顔を見せていたら、凪砂だって可哀相だ」
「ありがとう、兄さん…」

「お伺いしても構いませんか?」
 凪砂が老人にお茶を勧めながら口を開く。
「何だね?」
「おじいさんの『夢』は何ですか?」
「聞きたいかい?」
「ご迷惑でなければ…」
 老人が懐から1枚の写真を取り出した。
 それは若い頃の自分と同じ年ぐらいの女性と赤ん坊の写真だった。かなり古びているのか、ところどころで折れた跡がある。
 老人がかつて悪行の限りを尽くした頃、数多くの愛人を持ち、その子供を産ませた。その子供たちの中で、写真に写っている女の子、アイリーンを1番可愛がったと言った。
 アイリーンの母親は、数多くの愛人たちの中で最も愛した女性だったが、元々体が弱かく、アイリーンを産んでから2年後に病死した。
 死ぬ間際にこう遺した。自分はアイリーンを幸せにしてやれなかったから、代わりにアイリーンが喜ぶようなことを100個してほしいと。
 それから老人は自分自身はもちろんのこと、アイリーンの母親の分まで、アイリーンが喜んで幸せになれるようにがんばった。だが、アイリーンが思春期に差しかかった頃に嫌われはじめた時はひどいショックを受けた。
 それでも老人はアイリーンを喜んでもらうことを『99個』もつづけた。あと『ひとつ』で達成すれば、あの世であの子の母親に自慢話ができると。
「今思えば馬鹿馬鹿しい『夢』だと思うが…」
「いいえ、素敵な『夢』だと思います」
「ありがとう。この写真はあの子がまだ赤ん坊の時に撮った写真だった。3人揃って撮った写真はたった1枚だけだ。後はあの子が儂を嫌いはじめてから破り捨てられてしまったが…」
「・・・・・・・・・」
「あの子は小さい頃バナナが好きだった。バナナが食べたいためによく仮病を使って、儂に叱られたものだ。でも、もう遠い昔の話だ…」
 それから凪砂は毎日、その老人と公園で会い、話を聞いた。
 既に祖父母がいない凪砂にとって、老人からの話は新鮮だった。父やロックたちの冒険話もいいが、年を重ねた人からの話は貴重なものだった。

 数日後―。
「ちょっと本当にあなたわかっているの?!」
 老人が自室で食事をとっている最中に、アイリーンの怒鳴り声が耳に届いた。
 食卓では娘夫婦と子供たち4人で食事をとっていた。
「うちの家計にはそんな余裕がありませんよ!」
 子供たちが母親の怒鳴り声にびくびくしている。
 母親が口を開くと、いつも怒ったような口調になる。
「うるさいな、ゴルフクラブの1本買うぐらい、どうにかなるよ…」
「どうにかなるわけないでしょう?!あたしがどれだけがんばって倹約しているか?!」
「仕方ないだろう?前のクラブが折れてしまったんだから。現金払いが駄目ならクレジットでも…」
「もう!これ以上ローンが増えるなんて嫌!」
 その時、アイリーンの目の前がグラッと歪んで、そのまま倒れてしまった。
「アイリーン!」
「ママ、ママ!」
 夫がかかりつけの医者を呼んだ。
 診断は風邪だった。2、3日安静にしていれば心配ないと、医者が内服薬の処方箋を書いて、その場を去った。

 翌日、夫が娘を伴って、薬局へ出かけた。
「まったく、風邪を引くなんて何年振りかしら?」
 アイリーンが腋から体温計を取り出す。37度の微熱だったが、医者に言われるように安静していれば回復できると思った。
「このところ無理して仕事をつづけたのがいけなかったのかしら…?」
 その時、何か物音が耳に届き、アイリーンがベッドから起き上がった。
 老人が杖を持って出かける準備をしていた。
「ちょっとお父さん、何処へ行くの?!」
「近くのスーパーで買い物を…」
「買い物買い物って、ちょっとはこのうちの家計を考えてよ!お父さんに渡してるお小遣いだって、誰が稼いでいると思っているの?!」
 娘が寝室から上がって、老人に怒鳴る。
「まったく、食べるばかりで稼ぎもないくせに!」
「・・・・・・・・・」
 娘がハッと口を押さえた。
 言ってはいけないことはわかっていても、つい感情的になってしまう。
 それでも老人は笑顔で「…すぐ帰ってくるよ…」と家を出て行った。

 公園の時計が昼の12時になろうとした頃、
「どうしてお父さんがついてくるのですか?」
 凪砂が弁当を持って公園に向かう。彼女の後ろには、ブルースがついている。
「娘がいろいろと世話になっているから、挨拶しようかと思っていてね…」
「それは大きなお世話。小さい子ならまだわかるけど、私は子供じゃありませんよ」
「私にしてみれば、まだまだ子供…」
 凪砂が膨れ面を見せながらベンチへ着こうとしたその時、車のブレーキ音が耳に届き、その後、ドンと何かにぶつかった音がした。
「おーい!人がトラックに轢かれたぞ!」
 公園前の道路にいた人が叫ぶと、凪砂は胸騒ぎを覚えた。
 まさか―?!
「お父さん、ごめん!」
 ブルースに弁当を預けて、凪砂は走りはじめる。
 野次馬を割って、現場へ向かってみると、老人が血を流して倒れている。
「お爺さん、お爺さんしっかりしてください!」
 凪砂が老人を起こすと、トラックの運転手が降りてきて、
「この爺さんが前を見ずに、飛び出してきやがったんだよ!」
 と野次馬にその状況を説明した。
「誰か、誰か早く救急車と警察を!」
 凪砂が運転手にキッと睨みながら野次馬に訴える。運転手が蛇に睨まれた蛙のように固まって、携帯電話で警察に連絡した。
「…れを…」
 老人が血で染まったバナナを凪砂に渡す。
「儂の…代わりに…これを届けておくれ…」
「お爺さん、喋ってはいけません!」
「アイリーンが…病気になった時に…いつもバナナを…」
 老人が最後の力を振り絞るように凪砂に言いつづける。
「アイリーンが喜んでくれたら、これで100個…。やっとあの子の母親のところへ…」
 老人はもう思い残すことはないと、静かに目を閉じる。
「お爺さん…」
 凪砂が老人の手を握る。だが、老人は握り返せず、そのままズルッと下へ降りる。
「お爺さん…?」
 凪砂が呼びかけるが、老人は返事をしなかった。
「お爺さん!お爺さん!」
 トラックの運転手からの通報で、警察がやってきたのは1時間後だった。
 現場検証を行い、運転手から事故の様子を伺った。

「また鍵忘れたの、お父さん?!いい加減にしてよね!」
 しばらく自室で寝ていたアイリーンが何度か鳴らされる呼び鈴に起こされて、怒鳴りながら鍵が解除される。
「まったく…!」
 玄関のドアの向こうには、ポニーテールの少女、凪砂が服に血をつけて立っていた。
「あ、貴女、誰?!」
「貴女がアイリーンですね?」
「そうですけど…」
 凪砂がすかさず血がついたバナナを差し出して、
「貴女のお父様が2時間前に…、公園前の道路で亡くなりました…」
 泣きながら、一言一言噛みしめるような調子で言った。
「な…」
「貴女に喜んでもらうために…、貴女が昔お好きだった…バナナを買いに行かれて…」
 アイリーンが怪訝な表情を見せながら、「う…、嘘…?」と口にする。
「早く貴女に届けたくて…、前もよく見えないくらい急いでいらして…、そのまま…トラックに撥ねられて亡くなりました…。お父様は私に仰いました。早くに亡くなった貴女のお母様の代わりに、貴女が喜ぶことを100個…してあげられたら、自分は亡くなった貴女のお母様のもとへ…行っても自慢できると…。それがその100個目のバナナなんです!貴女が幼い頃バナナがお好きだったからと…、早く貴女に食べさせてあげたいとお店の人をせかして…、その不自由な足で一生懸命走って…、買ってこられたんです」
「そ…その買い物っていうのは…私の…私のために…」
 アイリーンが両手で顔を塞ぎながら、泣き崩れた。
「お父さん!お父さん!御免なさい!」

 それから1時間後、アイリーンを伴って、凪砂は警察へ案内した。遺体安置室へ向かおうとした時、アイリーンは1人の男と対面した。
「娘がいつも世話になって…」
 男が次の言葉を口にしようとしたその時、
「君は…?!」
「貴方…まさか…まさか…ブルースさん?!」
「18年ぶりだね、アイリーン」
「あの時は、あの時は、どうもありがとうございました」
 アイリーンが握手を求めると、ブルースが笑顔で握り返す。
「こんなところで、再会できるとは夢にも思えませんでした」
「あの女の子が、父の代わりにバナナを届けてくれて…。まさかあの女の子は貴方の…?!」
「名前は野島凪砂。私が妻と結婚する前につきあっていた女性の娘です。訳があって一緒に暮らしておりませんが、夏休みなどのまとまった日に会うことになっています」
「そうでしたか…。あの子が私にバナナを届けてくれた時、一瞬目を疑いました。貴方によく似ていて…」
「それより、貴女のお父様とご対面を…」
 中へ入り、老人の遺体と対面すると、アイリーンはすがりながら泣く。
 ブラディ・ゴッド―かつて太陽系最大のシンジケートの首領で、その力は太陽系を影で支配するほど偉大だった。
 本名、出身地などが謎のままで、素顔を見せることはなかったが、2911年にJ9ランドのカジノで勝ちつづけたブルースに、太陽系標準時にして1年以内に太陽系の50の惑星を回ってもらう賭けを提案した。
 いくら宇宙艇を飛ばしても、1年以内に太陽系50の惑星を回り切ること自体が無謀だったが、ブルースはあえてこの勝負に挑み、そして勝利をつかんだ。
 賭けに敗れて1200億ボールを支払ったブラディは、太陽系税務局によって脱税が摘発され、懲役15年の有罪刑を受けた。
 公式記録によると、2924年に仮釈放されてから消息を絶ち、現在でも生死不明のままであると記されている。
 そのブラディが愛人との子の1人であるアイリーンに引き取られて、自分の娘と交流をしていたとは―。
 遺体と対面すると、かつての面影がはなく、痩せこけた老人に変わり果てていた。
 アイリーンの説明によれば、ブラディは糖尿病を患っていて、一時は脳梗塞で入院したことがあったというのだ。
 それでバナナを買って帰ろうとした時、不自由な足で公園前の道路を走っていたことが納得できた。
 10数年も経っても、自分とブラディとの縁は消えていなかった―。
 やはりこの世に偶然なんてない。あるのは、必然だけ―。
 ブルースはその縁の深さを思い知らされた。

 2日後、ブルースはロックたちを呼んで、ブラディに永遠の別れを告げるために、葬式に参列した。
 この時、アイリーンがブルースたちに夫を紹介すると、夫はすぐに18年前の礼を告げた。
 ブラディの愛人の娘だったアイリーンは、幼い頃から籠の鳥のような生活を送っていた。常にブラディの部下たちに監視され、学校に行くことができず、外出する時はいつも部下たちにつけられていた。
 そんなアイリーンが夫ボビーと出会ったのは、今から18年前のことであった。しがない運転手だったボビーは、アイリーンの身の上話を聞いていくうちに、恋愛感情が芽生え、ブラディに結婚の許可を得ようとした。
 当然のことながら強く反対され、その上ブラディがヴァイオレット惑星海のトルサ星へ赴いた帰りに、アイリーンを東アステロイドへ連れて帰ろうとした。それを聞いたアイリーンはボビーと駆け落ちしようとした。追っ手にアイリーンは連れもどされ、ボビーはブルースたちJJ9に助けられた。
 ボビーから事情を聞いたJJ9は、他人事では思えず2人の駆け落ちに手を貸した。
 ロックとバーディ、ジミーとスージーの2組で追っ手を撹乱し、ブルースは自らサスライガーを操縦して応戦している間に、アイリーンとボビーはビートとプチ・ロッジによって丘の上の教会へ辿り着き、そのまま結婚式を挙げて、ブルー惑星海へ逃亡した。
 アイリーンとボビーがブルー惑星海で暮らせることができたのは、JJ9のおかげだった。
 2人はブルースたちと再会できたことに涙を流した。
 そして、ブラディの遺体を対面したブルースたちは、花を供えてから静かに黙祷を捧げた。

 同じ頃、凪砂は公園のベンチに花束を置いてから手を合わせた。
「まさか、あのお爺さんがブラディ・ゴッドだったとは…」
 背後には、伯父のヘルムートが立っていた。
「ブラディ・ゴッドといえば、太陽系を影で支配していた暗黒街の顔役だと歴史の教科書にも書かれていたけど、実際会ってみたら、何処にでもいらっしゃるお爺さんと何の変わりはなかった」
「お前がブラディの代わりに、アイリーンという娘にバナナを差し出した時、彼女はどうしたんだ?」
「泣いていらっしゃった。アイリーンさんは毎日の生活がつらくて、それを全部お爺さんにぶつけていたと。日々の鬱憤や不満、そして幼い頃からの恨みもあったのでしょうね。全ての負の感情をお爺さんに当たることによって解消しようとした。でも泣きながら後悔していらした。『お父さん、御免なさい』と」
「・・・・・・・・・」
「それでも、もう一度やり直して、仲良く暮らしていくことができなかったのですね…」
「凪砂…」
 ヘルムートが凪砂の肩に手を置くと、
「老人たちは『未来への不安』の象徴だ。いつか自分の体が自分の思うように動かなくなる。いつか今まで虐待していた自分が虐待される側になる。いつか自分も『老人』になる。大多数の人間は、その『いつか』に怯えて暮らしているんだ」
「『老人』になることが怖いだなんて、年を召した方に失礼だわ。世のお爺さんやお婆さんたちは、私たちが知らないことをたくさん知っていらっしゃる、いわば生きた『歴史書』だとお母様が教えてくれたわ。それを見ようとしないなんて、馬鹿がすることだわ」
「でも、お前の行動は立派だったな…」
「余計なお節介かしら?」
「どんな悪い人間でも、わずかな良心は残っている。お前が助けたおかげで、ブラディはわずかな良心をアイリーンに届けることができたし、ブルースたちにも再会することができたが、ただ…」
「ただ…?」
「ブラディの目の黒いうちに再会したかったとブルースたちは思っているだろうな…」

 人間は平等に年を取る―。
 いつまでも若いままではいられない―。
 季節が移り変わるように、万物も移り変わっていく―。
 人間だって、例外ではない―。
 自分だって、いつかは死を迎える―。
 そう思いながら、ブルースはブラディの棺に花をそっと投げた。

FIN
BGM「LONG GOOD NIGHT」by MOTCHIN

《あとがき》
サスライガー第33話を見て、話が浮かびました。元ネタはCLAMPの『東京BABYLON』第5巻の『OLD』です。
単に40代になったブルースが、60代か70代ぐらいになったブラディとの再会話ではつまらないので、2年前までに書いたブルースの隠し子である凪砂を登場させ、ブラディと交流する話にしました。
最初からブラディには死んでもらうことにしていますが、公式記録では生死不明で、知っているのはごく一部の人間だけと言うことでご了承ください。
注釈2のブルースと同じ名前を持つ御先祖の1人のことなんですが、私が書いている、別のアニメの二次創作小説に登場するブルースと同一人物です。(ここでのブルースはかなりのプレイボーイとして描いていますので、そっちのほうが苦手の方はご遠慮ください)


By 松山瑞樹
平安朝美人様からまたまた御寄稿頂きました。シリアスなお話で…色々と考えてしまいます…



to Sasuraiger Novel